春日野だより
秋の七草
見て楽しむ秋の七草
「秋の七草」。中学時代に覚えるように言われ、苦労して覚えられた方も多いのではないでしょうか?昔の人は生活のあちらこちらに自然をとり入れ、自然と上手に付き合い楽しんでいました。楽しむといっても、無病息災を祈って薬膳料理として食する春の七草と違い、秋の七草は見て楽しむ、主に観賞用となっています。
上記の花は日本女子サッカーでもよく耳にする「ナデシコ」です。別名、大和撫子とも呼ばれ日本女性の清楚な美しさの象徴にもなっています。
【尾花/オバナ・ススキ】 イネ科の多年性草本
穂が動物の尾に見えることから尾花と言われる。
【葛/クズ】 マメ科のツル性の多年草 花期7~9月
根は薬用に用いられ発汗、解熱、肩こりなどの効果がある。これを含む代表的な漢方薬は葛根湯。また、料理や和菓子の材料としても使われる。
【撫子/ナデシコ】 ナデシコ科の多年草 花期7~9月
別名、「ヤマトナデシコ」「カワラナデシコ」。種子や全草に駆虫効果や利尿作用、消炎作用などの効果が報告されている。
【桔梗/キキョウ】 キキョウ科の多年草 花期6~8月
根は排膿、去痰、鎮痛、解熱作用などがあり生薬として現在でも重宝されています。
【女郎花/オミナエシ】 オミナエシ科の多年草 花期8~10月
根は薬用として用いられ「敗醬根」とも呼ばれています。この別名はこの根が醬油の腐った臭いがすることに由来。根、全草には鎮痛、抗菌、消炎、浄血などの作用があり外用では結膜炎に用いられる。また鑑賞用としても楽しまれている。
【萩/ハギ】 マメ科ハギ属。花期7~9月
お彼岸に食される「おはぎ」はこれに由来しています。民間的に婦人のめまい、のぼせなどに効果があるといわれ、根を煎じ薬、葉を茶剤として用いる。
【藤袴/フジバカマ】 キク科の多年草 花期8~9月
名前は花が藤色で花弁が袴の形をしていることに由来。エキス剤には血糖降下作用や利尿作用があり、浴湯料などの外用として用いることで神経痛、皮膚のかゆみを緩和する作用も持つ。
上記の7種類を合わせて「秋の七草」と呼ばれています。
私は頭文字をとって「好きなおふく(ろ)は?」って覚えていました。
「ススキ、キキョウ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、クズ、ハギ」
今年2012年の「中秋の名月」は9月30日(日)です。
花期が異なるので一度に揃えるのはなかなか難しいかもしれませんが、これを機に併せて、「秋の七草」で自然を感じてみてはいかがでしょうか?
カザグルマ「Clematis patens Moor. et Decne.」
(キンポウゲ科)
普通庭園に植栽されている落葉木質のつる性の植物で、花は5~6月にかけて開花します。江戸時代に日本からヨーロッパに輸出され品種改良後、日本に逆輸入されクレマチスとして種苗屋で販売されている。和名は見た目からもわかるように花の形が風車に似ていることに由来し、利尿整腸剤、痛風やリウマチに使用。代表的な薬効成分にサポニン、アネモニン、オレイン酸を含み、特に痛風には著効。根を薬用部とし、中国名で鉄線蓮(テッセンレン)とも呼ばれ、同属のテッセン(カザグルマが花弁8枚なのに対しテッセンは6枚)と共に用いられている。生薬で使用される「イレイセン」として、日本ではこのカザグルマかテッセンかセンニンソウの根を「和威霊仙」と呼び利用されていることに対し、中国ではキンポウゲ科別種のクレマチス・シナセンニンソウの根「威霊仙」が用いられている(本草綱目)。
「脳は、だましだまされ、補完する」
(カニッツァの三角形/白い三角形がなぜみえてしまうのか?)
先日機会があり神戸青少年科学館にお邪魔をしてきた。現在の社会を支えている各種機器などの小さなものから、惑星の成り立ちといった大きなものまで、物理法則の初歩から「科学」を楽しめ、勉強ができるお勧めの場所だ。そこで私がふと気にとまったのが、永久に音階が上昇し続ける「無限音階」や「追ってくる顔」などが展示されてる感覚器展示室だった。今ではインターネットで「だまし絵、錯視、トリックアート」などと検索すると、この人間の感覚器官の錯覚を体現出来る画像が山ほど出てくる。「なんて人間の感覚器官はいい加減なものなのだろうか」と改めて思い知らされる。またそれと同時に、「現代社会においてなんてこの錯覚を利用したものが多く取り入れられいるのだろうか」と、知らないうちに意識させられているわたしたちが皮肉に思えてくる。
例えば交通では路面標識などの各種標識(メリハリの利いた減速効果や注意歓呼など)、インテリアであればインテリアコーディネート(同じ部屋でも家具の配置や壁の色で広さなどが変わって見える、見せ方によって全く別の空間になるなど)、広告全般(飲食関係であればより美味しそうに魅せるなど、錯覚を含めた人間の全感覚器官をフルに活用し如何に相手に端的にインパクトを与えるか など)、アミューズメント(道幅を調整することでアトラクションまでの体感距離を変えたり、建築物の模様を変えることでその建物の大きさをかえるなど)、テレビなどの動画、映像関係も「残像現象」という一枚一枚の写真をめくることであたかも動いているように見せる錯覚を利用している、などなど挙げだしたらキリがない。我々は何も感じていないようでも実はものすごく多くの情報の元で生活を営んでいる。
わたしたちが調剤業務を行っている時でもしかり、どんなに間違いないと確信していても、このいい加減な感覚器を持つ人間である限り絶対はありえない。どうしても複数の人とのコミュニケーションを通し、互いを補完していく行為が不可欠となる。時に機械化し業務の短縮化を図ったとしても、それを管理するのもやはり人間。人によってミスが増えるが、逆にミスを減らすのもまた人。この頼りない感覚器をもつ人間が創造したこの社会システムのユラギの素晴らしさに共感しつつ、ジレッたくも感じるわたしがいる。
【文責:長門】